西部邁さん 人間論 ウーマン村本大輔

少し前のことですが、西部邁さんがお亡くなりました。

会員さんの中には読書家が多いと思いますが、今も全く活字を読めないお馬鹿な私は、まだ未成年の時に何を血迷ったかカッコつけて西部邁人間論という分厚い本を買いました。 初めて買った難しそうな本です。

 

難しい本は読めなくても朝まで生テレビはキャラクターが楽しくて見ていたのでそれに出ていた西部邁だ!と思って当時の私は自分も頭良く見られようと買ってみたんです。

これが私に合っていたのか意外と読みやすくなるほどな~と思いながら読んだのを覚えてます。

西部さんはよく言葉の起源にまで言及しながら話すことがあって、清書した原稿だけでなく朝生のような番組の話し言葉でも同じようであったなあと思い出します。

レスポンス response(応答)と
レスポンシビリティー responsibility(責任)

いま記憶の中だけで書いているので色々間違いがあるかもしれませんが、response(反応、応答)の可能系? ~できる 能力 abilityでresponsibility 責任という意味になる。みたいな。 いや、もっと上手い話だったと思いますが、何か反応するということには責任が生じるみたいな話の中にさらっと言葉の起源の話を入れ込んだり、西部さんのこういう話し方は面白いし勉強になるんですね。

自由の中にも優劣がある

これもよく覚えている言葉で、といってもこれもまた記憶の中のことなので正確でないかもしれないし、西部邁さんの言葉であるのは確かですが人間論に書いてあったかは定かではないです。もしかしたら朝生で聞いたのか???

当時、人権や自由ってことをみんなが主張する世の中になっていたと思いますが、その自由の中にも優劣があるのだから問われるべきはその優劣であるべきだみたいな。 いや、西部さんはそうは言ってなかったかもしれませんが私なりにそう理解してました。 都合よく。

優れた自由と劣った自由があるのだから、自由という言葉は取っ払ってその中身だけを考えたら良いというように私は勝手に解釈してます。 なので「自由だから~」って言われてもそんな魔法の言葉に惑わされること無く生きてこれたのは西部先生のおかげです。 大げさ(^^) 

人を虐める自由いじめを助ける自由があると言われたらどうでしょうか?  いじめは悪いことと前もって判断してるので普通はこんなところに自由なんて言葉は付けないので気づきにくいのですが、実は私達が使う自由も結局そこにも優劣があるので同じ構造なんですね。

前回の記事に書きました問題でいいますと、黒人の真似をするのに黒塗りしたってこっちの自由じゃんって時にも自由って言葉を使えますね。でもこれが良いことか悪いことか人によって判断が別れる問題なので「自由だから良い」というニュアンスは消えて、結局中身が問題になるんですね。

さらに屁理屈のようですが、「黒塗りは差別だと主張するのもまた自由だ」と言う自由も出てくるし、その考えを批判するのだって自由だろ?  または 自由なんてダメだっていう主張さえも自由だろ! こうなればもうここには「自由という言葉」の居場所は無いわけです。

こういった場合では重要なのはその中身であって自由という言葉はほとんど意味が無いんだとわかるかと思います。

自由は結構だけど人に迷惑をかける自由は認められない~というのと近い意味ですがより本質をついてる言い方だと思うんですね。

ちょうど当時は自由を盾にする若者ともはやそれを上手く怒れない大人みたいな時代だったような気がします。この時代ごとに親父狩りやブルセラ女子高生やガングロギャルや汚ギャルなどが出てくる背景、原因を見ていくのも興味深いですがそれはまた別のお話なのでここでは割愛します。

 

では自由という言葉は意味ないのか、使えないのかというと当然これもまた全然違いまして、西部さんはそこも言及されてましたし私もそれに納得しました。

がこれ以上私のテキトーな記憶だけで適当なことを書いては間違いだらけになるので気になる方は西部邁先生の本を読んで見てください。

ちなみにどうだったかなと今ちょっとググったら哲学の基礎の自由についてのページを見つけました。

2つの自由

西部さんが言ってたのもこの考え方を元にしていたと思いますが、上の例に絡めると、黒人さんが奴隷や差別から自由になるのは素晴らしいという感じで使う自由は確かに意味ありますもんね。

~からの自由 ~への自由 みたいな話でしたが西部さんがどう書いていたかここに書けるほどにははっきりとは思い出せません^^;  でも上記の自由の考え方の一つをその未成年の頃から自分なりに解釈して今でも身体に刻まれているだけでも良いことなのです。

上記の話は人間論の中のことだと記憶していますがもしかしたら西部さんの他の本だったらすみませんm(_ _)m  

読み返して調べればすぐなんですがなぜか今はそうしたくない気分ですみません^^; 人間論は今屋根裏に眠っています。

20年以上前に書かれたものではありますが西部邁の考えてることの集大成のようなもので今読んでも大変勉強になるものだと思います。

私みたいに活字を読むのが苦手な方で、でもこういう頭のいい人の本を読んでみたいな~と密かに思ってる方は挑戦してみるのもいいと思います。 難しいことも書いてるかもしれませんがこれは意外と読みやすいと思いました。 

特定の分野についての本でなく、タイトルの通り人間全体についてと言うか、先に挙げた自由のお話とか、目的と手段の話とか根本的な物の考え方そのものが学べる本だったと記憶してます。

 

ウーマン村本大輔と西部邁

そんな西部さんが最近何かと世間を騒がしているウーマンラッシュアワーの村本大輔くんと対談をしています。

村本くんはお笑い芸人ですが政治的な発言をしたり漫才に時事ネタを入れたり、番組中に間違った発言をしたなどで色々炎上してますね。

村本大輔「人を殺さずに国を守りたい」 西部邁と語る「政治の理想と現実」

西部邁×村本大輔「投票経験なし」対談 フェイク飛び交う時代の民主主義

これを読めばわかるようにネットでバカにされるほど村本くんはバカではなく、彼なりに色々考えてのことなのだと思います。

彼が選挙に行かない(行ってない)と発言した時、私はその含みを持たせていた言い方から本当は選挙に行ったんだろうなと思ってましたが

ある番組でスタッフに頼んで、「村本さんを投票所で見た!」というウソの内容のメールを番組宛てに送ってもらったのです。それが番組の最後に紹介され、僕はわざと顔を真っ赤にして番組を終えました。僕のツイッターのコメント欄には案の定、「投票に行ってたんじゃないか」という書き込みが殺到しました。

AERAdot.

abemaTVでこれも見ていたので私も騙された一人だったのか~と。 まあ本当のことはわかりませんが。

 

あ、今書いてて思い出しました。 確か人間論で読んだと思いますが西部邁さんは元々吃音症で人前で話せなかったんですが、安保闘争の中、大集会で演説を行わなければならなくなったことをきっかけにスラスラと人前で話せるようになったんですね。  そういったエピソードもワクワクして読んだ記憶があります。 

西部邁
いつの間にか俺をゲストにしてしまってる(笑)仕方ないんで、一つだけ言うと、僕は19まで、20歳までかな、吃りだったんですよ。吃りは今は差別語らしいから吃音者、だから喋れなかったの人前で。ある時ね、大集会の演説者の立場に不意に押しやられたの。まず覚えてるのは、ここに覆いがあったから見えないけど、膝はガクガク震えて、だって目の前に5000人ぐらいいるんだもの、ひょっとしたら1万人近くいたかもしれない、日比谷の野外音楽堂。 ビックリしたの、それまで人前で喋れなかった僕が、口から頭からベラベラベラベラ・・・今みたいなダミ声じゃなくってね、かなりテノールのいい声だったんですよ(笑)

[*吃音から脱した演説、安保闘争時の日比谷野音 ]

今村有希
フフフ(笑)

西部邁
際限もなく口から(言葉が)出てくる自分自身に驚いてね。そこでね、昆虫でいえば変態しちゃった感じのね。

中森明夫
うん。

西部邁
ということでね、カミさんがビックリしてた。カミさんは何にも喋らない僕を知っているわけ。人前で吃るの嫌だから僕しゃべらなかった。

今村有希
(うん)

西部邁
ところがね、何年かぶりにあったら、僕がベラベラ喋っているわけさ。他人じゃないかと思ったって。

中森明夫
あぁ〜。

西部邁
だから、何かのそういう運動というのは、僕にとってはそういう意味で、【運命の中の決断】、自由と関係あるんですけど。

「青年よ、寂しさに屈するな」① ゲスト:中森明夫(作家・アイドル評論家) 〜西部邁ゼミナール〜

 

村本くんに戻りますと、彼はabemaTVのニュース番組もやっていて保守系の上念司さんとも話してるので、朝生で村本くんが主張するようなことは本当は矛盾があることは本人も重々承知の上なんですね。

あ、村本くんの話はまた別の記事にします。

 

西部さんの訃報から色々思い出しましたので書いてみました。 

ご冥福をお祈りいたしますm(_ _)m

 

ここに書いたことはテキトーな記憶と勝手な自分流の解釈なので正しい情報を知りたい方はぜひ西部邁先生の本を読んで下さいませ。

 

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